儲け」るという漢字と「信用」

ある人のエピソード
当時「数字を上げること」に快感を覚えていて、とにかく会社で一番売上を上げ、
粗利を稼ぐ営業マンであることに酔い、今考えれば常軌を逸した仕事の仕方をしていたころの話です。

上司が替わることは良くありましたし、都度方針が変更になることにも慣れっこでした。コロコロ変わる方針なんぞより、数字を上げさえしていれば文句を言われないという考え方をしてもいました。そんな時、新しい上司が着任されました。

お客様に提出する見積書に印をもらうために持って行くと、いつもその上司は首をかしげるのです。「感じ悪い野郎だなぁ」と思いましたが、判子さえもらえれば良いし、上司の印象をあれこれ考えるより、目に見える数字を上げる方を優先させていました。

ある日、いつものように見積書を持って行くと「ちょっと話がしたい」と言われ会議室に呼ばれました。別に金額が張るような見積もりではありませんし、特に指摘されるミスもないはずです。会議室に行くと、開口一番こう言われました。

「俺は、お前はもうちょっと商売というものを分かっているヤツだと思っていたけど、どうやら違うようだなぁ」と。

心外極まり無い話です。きっとその時の私はものすごく不満そうな顔をしたのでしょう。上司は続けてこういわれました。

「お前、「もうける」って漢字を書けるか?」

「書けますよ。こうですよね?「儲ける」」

「もうけるという意味は知っているか?」

「は?ああ、「信」と「者」でできてるってやつですか?」

「おお、知っているか。その意味は説明できるか?」

「「人を信じることが儲けに繋がる」とか「信を重んじれば、利益にあずかれる」とかですよね。知ってますよそれくらい。」

「うん。そういう解釈もあるな。他には?」

「いや、他は知りませんが、何かあるんですか?」

「もう一つ角度を変えるとこういう解釈ができる。「自分を信じてくれる者を作ることが利益に繋がる」ってな。どう思う?」

「宗教じゃないんだから、信者増やしたって意味ないんじゃないですか?」

「なるほど。そうか。わかった。」

といって、見積書に印を押してくれました。その時はそれで終了。信者を増やすだって?それが利益に繋がるだって?お客様がお布施をくれるわけでもあるまいに、アホくさい。当時の私はそう思っていました。

それから程なく、私は仕事でミスをやらかしました。ミスの内容は些細なことです。しかし、私がいくら謝っても、修正してもお客様からお許しをいただけません。担当者レベルでは話にならない事案になってしまい、上司にお出まし願い、何とかお許しを得ることができました。

その帰り道、喫茶店で反省の弁を述べようとした矢先、先にこう言われました。

「お前に商売がわかっていないと言った意味がわかったか?」

「いや・・・ミスをしたことは本当に・・・」

「そうじゃない!お前の商売道具はなんだ?スーツか?鞄か?靴か?そうじゃない。お前の商売道具は「信用」だ。お客様に信用を得られていれば、今回の件だって乗り切れただろう。それなのに、許してもらえなかったのは、お前は信用に足らないと言われたも同然なんだ。そのことに何故気づかない?!」

「お前の作る見積もりからは「利益を第一優先」にしていることが透けてみえる。利益はもちろん大事だ。しかし仕事の始点が「利益」では信用は決して得られない」

「利益始点の発想でも普通の時は問題無いだろう。しかしこういうピンチの時にこそ信用を始点とする人との差が現れる。メーカーも、先輩も、お前を助けようとはしなかったよな。お客様だけでなく、お前は仲間からも、助けるに値しないと言われたんだ。そう思われているんだよ」

「信者を作ることに意味があるかと前に俺に言ったよな。とても残念だった。「信用」のない今のお前が、「信用」に足る男になるためにしなければならないことはたくさんある。「信用」とは何か考え直せ!」

長い時間積み上げてきた信用もたった一瞬の出来事で崩壊してしまうんですよね
見てる人は見てるものね